東京高等裁判所 昭和62年(う)561号 判決 1987年8月27日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人藤沢抱一が差し出した控訴趣意書、同補充書及び同補充書兼訂正書に、これに対する答弁は、検察官風祭光が差し出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中事実誤認の主張について
所論は、原判決は、被告人が昭和六〇年一二月一〇日午後二時二五分ころから同四時一〇分ころまでの間、東京都渋谷区<住所省略>サンハイツ○△一〇六号室甲野花子方において、同人所有の現金一万円を窃取した旨認定しているが、窃盗犯人が同人方に入つたのが午後二時二五分ころ以降であるとし、現金一万円の被害があつたとし、更に、その犯人が被告人であるとする各点において、原判決には事実の誤認がある、というのである。
そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示の事実は優に肯定できるが、所論にかんがみ更に説明を加える。
一窃盗被害の発生について
1 所論は、昭和六〇年一二月一〇日原判示サンハイツ○△一〇六号室の甲野花子方に窃盗犯人が入つたのは、午前一一時三〇分から午後二時二五分ころまでである可能性があると主張する。
確かに、右甲野は、原審証人として、同日午前一一時三〇分ころから夕方にかけて右自室を留守にし、その間に自室を窃盗犯人に荒らされたと供述するにとどまる。しかし、関係証拠によれば、右時間内に機会を異にして複数の者が甲野方を荒らしたことを推測させる事情は一切うかがわれず、同人方に後記の足跡を印象した者が本件窃盗犯人であると断じて妨げないものと認められるところ、原審証人佐藤明の供述によれば、警視庁綾瀬警察署勤務の巡査部長佐藤明ら警察官三名は、同日午前一一時三〇分ころから被告人を尾行していたが、午後二時二五分ころサンハイツ○△から四十数メートル離れた路上で被告人を見失い、その後午後四時一四分ころ、サンハイツ○△から徒歩数分以上の距離の代々木上原駅に被告人が現れたのを目撃していることが認められるうえ、本件窃盗犯人が被告人であることは後記のとおりであるから、甲野方が荒らされたのは、原判示のとおり、午後二時二五分ころから同四時一〇分ころの間であると認めることができる。
2 所論はまた、甲野が右窃盗犯人によつて現金一万円を窃取されたとは認められないと主張する。
しかし、甲野の原審証言によれば、同人は、昭和六〇年一一月末に引越しの費用等に当てるため証券会社から二〇万円位を下ろしてきて、それを右証券会社の袋に入れて置いて使い、被害当日の数日前にもその袋から二万円か三万円を出し、あと一万円が残つているのを確認したうえで右袋を文箱に入れ、これをサイドボードの引出しにしまつておいたが、本件当日帰宅してみると、文箱はカーペット上に出され、蓋が開けられていて中身がこぼれ、右袋もカーペット上にあつて、入れてあつた一万円がなくなつていたことが認められ、甲野が一万円を窃取されたことは動かし難いところである。所論は、甲野の証言中一万円残つていたとする点を疑問とするが、甲野が証券会社の袋を文箱にしまつていたこと、その袋が文箱から出されてカーペット上に残されていたこと、その他甲野の証言内容等に照らして、所論は失当というほかない。
二犯人が被告人であることについて
この点については、次のような諸事情が存在する。
1 原審証人佐藤明の供述及び司法警察員作成の昭和六一年一一月九日付、同月一五日付(二通)各捜査報告書、同月九日付写真撮影報告書等によれば、警視庁綾瀬警察署勤務の前記佐藤は、同警察署管内で侵入盗が多発したため、昭和六〇年一一月一一日から、犯行手口、土地勘等より容疑者として浮び上つた被告人の尾行を始め、本件当日も午前一一時三〇分ころから、同僚の警察官二名とともに、自宅を出た被告人の跡をつけたこと、被告人は、午後一時少し前ころ営団地下鉄千代田線の電車に乗車したが、座席に腰をかけて足を組んだとき、佐藤の席から、被告人の履いている靴の底に「check」の文字のあるのが見えたこと、被告人は、午後一時四六分ころ代々木上原駅で下車し、喫茶店に立ち寄つた後、午後二時八分ころから歩き始め、遠回りになる道に入つたり、後方を振り返つたりしながら歩き続け、午後二時二五分ころ渋谷区<以下省略>△×医院付近の交差点を右折したこと、佐藤らは、急ぎその場に行つてみたが、被告人の姿は既に見当たらず、付近を捜しても被告人を発見できなかつたため、やむなく代々木上原駅に戻つて待つていると、午後四時一四分ころ被告人が現れたこと、甲野方のあるサンハイツ○△は右交差点から四十数メートルの近距離にあり、また、その付近は家が立て込み、佐藤らが失尾したのは被告人が家の陰に入り込んだためとしか考えられないことなどが認められる。
所論は、原審証人佐藤が右△×医院付近の交差点で被告人を見失つたと供述するのは、措信し難く、佐藤は、被告人が代々木上原駅近くの喫茶店を出て間もなく、被告人を見失つていると思われる旨主張する。しかし、所論が佐藤の供述の疑問点としてあげるところは、いずれも同供述の信用性を揺るがすような事情とはいえず、同供述は十分措信してよいものと考えられる。
2 関係証拠によれば、甲野は、本件当日の夕方帰宅し、室内が荒らされているのを発見して、直ちに一一〇番通報をし、間もなく代々木警察署勤務の巡査長西島槇一及び巡査重泉治之が臨場したところ、台所の茶だんす前のクッションフロアの上に、「check」の文字の入つた靴底の足跡が数個印象されており、犯人はその足跡を残した者と認められたので、重泉巡査がその足跡痕をゼラチン紙に採取した(昭和六二年押第一九四号の1。採取された足跡は二個あるが、鑑定の対象となつたのは一個だけであり、以下これを「本件足跡」という。)こと、他方、昭和六〇年一二月一三日本件により逮捕された被告人から、神戸市所在の丸高ゴム工業所製造にかかる、靴底(同市所在の株式会社加藤商店の製造したもの)に「check」の文字の入つたサイズ二五・五センチメートルの黒色短靴一足(同押号2)が押収され、この被告人の靴によつて本件足跡が印象されたか否かについて、田中邦博(警視庁刑事部鑑識課主任)及び藤原良造(藤原鑑定事務所経営)に対し鑑定の嘱託がなされたところ、両名とも本件足跡が右の被告人の靴(左足用のもの。以下「被告人の靴」という。)によつて印象されたとの鑑定結果を得たことが明らかである。
そこで、各鑑定結果についてその内容を検討する。まず、田中作成の鑑定書及び同人の原審証言(以下「田中鑑定」という。)によれば、ゼラチン紙に転写した本件足跡の写真と、土を付けた被告人の靴の底をゼラチン紙に印象させて、これを撮影した写真とを使い、両者を比較対照したところ、製造工程で生じたとみられる四個の欠損及び使用中に生じたとみられる三個の欠損が同様に指摘でき(指摘法)、右欠損中三個の間の長さを計測しても、それらに差異がないこと(計測法)、両者が重合すること(重合法)などが判明し、これらからすると、本件足跡と被告人の靴とは符合するとされている。また、藤原作成の鑑定書及び同人の原審証言(以下「藤原鑑定」という。)によれば、本件足跡の前記写真と、被告人の靴によつて対象足跡を作り、これをゼラチン紙に転写したものを撮影した写真とを比較対照したところ、両者を任意の同一箇所で前後方向に切断し、たがいに他の方の切断箇所と接合してみると、いずれも符合しており(接合法)、重合法によつても両者が矛盾することなく重なり合い、また、両者において、一一個の製造工程で生じたとみられる瑕疵(うち四個は田中鑑定で指摘されたものと重複している。)、二個の使用中生じたとみられる切傷痕、三個の使用中生じたとみられる断接痕がそれぞれ一致していることなどを理由にして、本件足跡は被告人の靴によつて印象されたものと確認できるとされている。
所論は、本件足跡と被告人の靴とを比較対照すると、不一致と目される特徴点も存在するとして種々主張しているが、そのうちの多くは田中及び藤原が原審証人として説明を加えていて、すでに疑問が解明されているものであり、所論の指摘を検討しても、本件足跡が被告人の靴以外のものによつて印象されたとは認められない。
ところが、当審で取り調べた高山昌光(高山資料解析研究所経営)作成の昭和六二年七月九日付意見書、同年八月一〇日付補充意見書及び同人の当審証言(以下「高山意見」という。)によれば、被告人の靴と同種同型の未使用の靴合計七足を入手して、その左用の靴底を調べてみると、田中鑑定及び藤原鑑定で指摘された痕跡の大部分は、右七足についても観察され、両鑑定の判断の根拠となつた痕跡は同種同型の靴にみられる極めてありふれたものであつて、被告人の靴に固有の特徴であるとは考えられない、というのであり、これに合わせて、右の各靴底が一個の金型で製造されていること(加藤公朗の司法警察員に対する供述調書)、重合法及び接合法によつては、対象とされた靴が同種同型であるという程度にしか判別できないことなどにも徴すると、田中鑑定及び藤原鑑定中本件足跡が被告人の靴によつて印象されたとの結論部分は、直ちに採用し難いというほかはない。
しかしながら田中鑑定及び藤原鑑定によれば、本件足跡が被告人の靴と同種同型の、丸高ゴム工業所製造にかかる、靴底に「check」の文字の入つたサイズ二五・五センチメートルの靴の左用のもので印象されたことは、明白であるうえ、本件足跡と被告人の靴とを比較対照すると、一致する特徴が合計一九箇所発見され、高山意見においても、その間の同一性は否定されておらず、本件足跡が被告人の靴によつて印象されたとは断定できないにしても、その可能性は高いということができる。
なお、被告人は、昭和六〇年一一月中旬ころ前記の被告人の靴を購入した旨供述するところ(同年一二月一七日付供述調書)、その以前の同年一〇月二五日ころに東京都足立区<以下省略>で発生した忍び込み窃盗事犯の現場から、「check」の文字の入つた遺留足跡が発見されているが(司法警察員作成の同年一二月一二日付捜査報告書)、被告人の右供述を裏付けるに足りる証拠はなく、同供述はにわかに措信し難く、右足跡が被告人以外の者の靴によつて印象されたとは認め難い。
3 関係証拠によれば、被告人は、昭和三九年五月から昭和五七年一〇月までの間に、現住建造物放火、窃盗、同未遂、住居侵入等で懲役刑に七回処せられているが、そのほとんどの犯行が忍び込み窃盗にかかわるものであると認められる。
所論は、被告人が従前犯した窃盗の犯行手口には、クレセント錠辺りのガラスを破つていること、現金のみでなく、金目の物は手当たり次第盗んでいること、物色中下着を散乱させていること、犯行時間が夜であることなどに特徴があるが、これらのいずれもが本件に当てはまらず、本件は被告人の犯行ではないという。しかし、被告人が忍び込み窃盗の常習者であることは明らかであるところ、司法警察員作成の昭和六〇年一二月一二日付捜査報告書に徴しても、被告人が常に所論指摘のような手口で犯行に及んでいたなどとは認められず、甲野方に施錠のない居室の窓から入つて、現金一万円を窃取した本件の手口が被告人のこれまでの犯行手口と異なるとはいえない。
4 被告人は、捜査段階から、本件当日は、広島刑務所で前刑を服役中知り合つた通称「シンちやん」が代々木上原駅近くの「パールマンション」に住んでいるとのことであつたので、同人を訪ねて裏ビデオの話を聞こうと思い、同駅で下車し、同駅の付近を歩いて「パールマンション」を捜したが、△×医院の方までは行つておらず、結局「パールマンション」を捜し当てられないまま同駅に戻つたなどと供述している。
しかし、「シンちやん」は、同刑務所の運動会で一回会い、短時間話をしたというにすぎないものであること、「シンちやん」の姓が「○○△△」であるか否かについて、供述に変転があること、被告人が同刑務所で服役していた期間内に同刑務所で受刑した「シン」のつく氏名の者を調査したが、被告人のいう「シンちやん」に該当するものは存在しないこと、被告人は約五箇月前に出所しており、本件当日になつて「シンちやん」を訪ねる理由が首肯し難いこと、「シンちやん」の住むという「パールマンション」の所番地、電話番号等が分かつていなかつたこと、それにもかかわらず、被告人には「パールマンション」の所在を真剣に捜した様子がみられないこと(被告人は、原審公判において、通行人三名位に聞いてみた旨を供述するが、原審証人佐藤はこれを否定している。)などに加えて、右佐藤の供述する前記1の状況に照らして、被告人の供述は全く信用することができない。
以上のような諸事情があり、特に、本件窃盗の発生した時間帯に、忍び込み窃盗の常習者である被告人が他人の目を警戒しながら、住宅街を理由もなく歩き回り、甲野方から僅か四十数メートルの地点で行方不明となつたうえ、同女方の室内から、当日被告人が履いていた中小メーカー製の靴と同種同型のものによる遺留足跡が発見され、そのような特別の靴を履いた被告人以外の者が右の時間帯に右の場所に出現する確率は希有に等しいことなどにかんがみると、それだけでも本件窃盗の犯人が被告人である蓋然性は高いということができる。しかも、右足跡と被告人の靴底との間には一九箇所もの一致する特徴がある一方、後者によつて前者が印象されたことを否定する証拠はなく、更に、被告人の弁明に信用性がないことにも照らすと、被告人が本件窃盗の犯人であることについては、合理的な疑問は残らず、優にこれを認定することができる。
したがつて、原判決に所論のいうような各事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
控訴趣意中量刑不当の主張について
所論は、要するに、原判決は、被告人を懲役一年六月に処し、未決勾留日数中九〇日をその刑に算入するとしているが、犯情に照らして刑が重過ぎるとともに、未決勾留日数の算入が少な過ぎ、これら各点において原判決の量刑は不当に重いというのである。
そこで、原審記録を調査して検討すると、本件は、既に述べたような都心の留守宅をねらつた忍び込み窃盗の事案であり、その態様及び罪質がよくないうえ、被告人は、昭和三九年五月から昭和五七年一〇月までの間に現住建造物放火、窃盗、同未遂、住居侵入等の罪により前後七回懲役刑に処せられ(うち一回は執行猶予付きであつたが、のちにこれを取り消される。)、最近の二犯が本件と累犯の関係に立つとともに、本件の五箇月足らず前に最終刑を受け終わつたばかりであつて、忍び込み窃盗の常習者と目されるものであり、本件は右常習性の端的な現れとみることができ、被告人の刑事責任は重いというほかはない。そうしてみると、被害が現金一万円にとどまること、その他記録上うかがわれる被告人に有利な情状を酌み、従前の被告人に対する量刑の状況等を考慮に容れても、この際被告人が懲役一年六月程度の刑を受けるのはやむをえないところというべきである。
また、被告人は、本件について、まず昭和六〇年一二月一四日から被疑者として勾留され、起訴に至らずに同月二八日いつたん釈放されたが、別件勾留中の昭和六一年七月二九日あらためて起訴されるとともに、同日職権により勾留されて、昭和六二年三月二五日の判決宣告まで勾留され続けており、被告人の刑に算入可能な未決勾留日数は二五四日であることが明らかである。しかし、本件の審理経過をみると、昭和六一年九月二日足立簡易裁判所で第一回公判が開かれたほか、同裁判所から移送された原裁判所で同年一〇月一四日の第二回公判から昭和六二年三月二五日の判決宣告まで一〇回の公判が開かれていること、被告人が同年二月二日弁護人を解任したため、国選弁護人の選任手続がとられ、あらためて私選弁護人が選任されるなどのことがあつて、同月九日の第八回公判期日は変更のやむなきに至り、同期日において、第九回公判期日は同年三月二日と指定され、被告人の責により一期日を無為にしていること、右未決勾留日数中には起訴前の勾留が一五日含まれていること、その他公判期日の指定状況、各期日における手続内容、本件事案の内容とその争点等に照らすと、原判決が未決勾留日数二五四日のうち九〇日を被告人の刑に算入したのが過少に失するものとは到底思われない。
したがつて、原判決の刑及び未決勾留日数の算入に所論のような不当とすべき点はなく、論旨は理由がない。
よつて、刑訴三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官横田安弘 裁判官井上廣道)